Holland Mania 展 カタログ用テキスト

Holland Mania展に寄せて (カタログ用テキスト)
上田麻希


匂いは、異国の地に降り立ったときにまず気になるものである。それは未知の世界への入口として私達をワクワクさせてもくれるが、どうしても身体に馴染むことのできない異文化の壁をも感じさせてくれる。

ほとんど外国文化に触れることのなかった鎖国中の日本人にとっては、異国の匂いといえばオランダの匂いだったに違いない。果たして当時の日本人は、どのようなオランダの匂いに接したのだろうか? そしてどのようにオランダをイメージしたのだろうか?

丸山遊女というのがいた。妻子を連れて上陸することが許されなかったオランダ人のために、日本政府がお世話した長崎の遊女だ。日本人の中で唯一、出島での滞在も許された。いわば最もオランダ人に近い日本人だった。

彼女達はカピタンに勧められ、コーヒーを飲み、パイプでオランダのタバコを吸った。出島にはワイン、バター、食肉、サボン(石鹸)もあった。これらは、オランダでは今も昔も日常的に接するものであるし、現在の日本にもありふれている。しかし想像してみたい。これまでの人生で一度も接したことのないこれらの匂いを、初めて嗅いだとしたら、どうだろう。

この問いは、Holland Mania 展に寄せて作品を制作する上で、ひとつの出発点となった。

もうひとつの出発点は、オランダ人が運んで来た技術や香料が、どのように日本の匂いの風景を変えていったか、という興味関心だった。

日本の香りの歴史は、オランダの存在無しでは語れない。丁字やナツメグはオランダ東インド会社以前にも日本に入ってきていたが、丁字油、カモミール油、ラベンダー油 などのたくさんの精油がオランダによって日本に紹介された。

香辛料や精油は当時、香料としてよりは、オランダ式の医療薬として興味が寄せられた。そこで江戸幕府は、精油を国内で自給しようと、蒸溜法などの精油抽出方法をオランダ人から学ぶよう蘭学者に指示した。

大阪・堺の業者もオランダ人から手ほどきを受け、丁字油を製造し始めた。丁字油は切り傷、歯痛などに対する万能薬として、あるいは化粧下地、媚薬としても使われた。 これはオランダ人が伝播した技術が、後に日本の匂い風景を変えることになった、ほんの一例である。

もう一例ある。オランダ東インド会社時代、樟脳は日本の主要輸出商品だった。オランダ人はこれを高価な龍脳のチープ・バージョンとして世界中に売り裁いたのだ。樟脳はやがて日本人にも浸透し、防虫剤として着物用のタンスに入れられた。着物の匂いは、イコール、樟脳の匂いとなった。

それだけではない。樟脳の主な産地だった薩摩藩は樟脳で富を蓄え、それを土台に江戸幕府を倒してしまった。匂いが歴史に関与した例だ。

匂いは、私のアートのメディウム(媒体)でもある。蒸溜法などの様々な精油抽出方法を使って、日常のあらゆる匂いを抽出している。たとえば味噌汁の匂いを蒸溜で抽出し、香水の形をとってイスタレーションとして展示している。( “ eau de parfum PERFECT JAPANESE WOMAN ” , 2008) 自分のこうした仕事が、日蘭の邂逅と繋がっていたことに、何かの縁を感ぜざるを得ない。

当時の蘭学者は、初めて見る蒸溜器を前にして、技術と化学とオランダ語を身体で同時に覚えていった。松の木を蒸溜して採った滴を「これがテレピン油なんだよ!(Dit is de terpentijnolie!)」とオランダ人から差し出されて初めて、「蒸溜」「精油」「テレピン油」などの単語の意味と相関がわかったに違いない。辞書さえ存在しない時代なのだ。

私も化学に関する知識はほとんどゼロの状態で、オランダ人の友人から蒸溜の手ほどきを受け、そこからは独学で学んでいった。彼らの体験に少し通じるものがある。できることならこの蘭学者たちにも是非私の展示を見てもらいたいものだ。


[展示内容]
2部で構成される予定。

(1)遊女部屋 (Room 4)
「出島のオランダ人が嗅いだであろう丸山遊女の匂い」

丸山遊女とは、妻子を連れて上陸することが許されなかったオランダ人のために、日本政府がお世話した長崎の遊女のことです。日本人の中で唯一、出島への宿泊も許されたので、いわば最もオランダ人に近い日本人でした。その丸山遊女が暮らす部屋が美術館に出現します。そして実際に「遊女」がこの部屋に住み込みます。その「遊女」とは、在蘭邦人の男女による有志コスプレ・ボランティアで構成されます。美術館が開館すると同時に着付けと化粧が始まります。遊女はあらゆる媚薬的な匂いを道具のように駆使したものですが、メークアップ中に発するそういった匂いもパフォーマンスの一部となります。美しく着飾られた遊女はそのまま部屋でオランダ人来場者をおもてなしします。部屋にあるものは何でも手にとって匂いを嗅ぐことができるという、嗅覚のためのルーム・インスタレーションです。(パフォーマンスの詳しい日程などは美術館のウェブサイトを確認のこと。おもに土日を予定。)

(2)カピタン部屋 (Room 24)
「丸山遊女が嗅いだであろう出島のオランダ生活の匂い」

オランダ人の現地妻としての役割を果たした丸山遊女が体験したであろう、オランダ的な生活の匂いで構成されるインスタレーション。丸山遊女は最先端の西洋文明に常に晒されていたといわれています。例えばコーヒーやパイプなどの外来品を初めて嗜んだ日本人は、他ではない丸山遊女だったであろうと推測されています。日本人で他の誰ひとりとして嗅いだことのない「コーヒー」とやらの匂いを、まさに自分がいま初めて嗅いだとしたら、どんな風に思うでしょうか。オランダ風景画が壁一面に描かれる歴史モニュメント的なこの小部屋の中に、遊女たちがウィットネスしたであろうオランダと日本の文化の邂逅を匂いで描きます。

コメント

このブログの人気の投稿

「メディアアートの歴史、ひと区切りついたね」

2年ぶりのオランダ〜友人達との再会〜

お歯黒水を作ってみる