{覚書} 嗅覚アート、展示の際に意識すべきこと
ver. 190602
香りや匂いを使った芸術表現、嗅覚アートが注目されるようになった昨今。嗅覚アートと謳わない美術展やコンサートなどでも、香りの作品を体験する機会が増えてくることでしょう。
香りや匂いを使った芸術表現、嗅覚アートが注目されるようになった昨今。嗅覚アートと謳わない美術展やコンサートなどでも、香りの作品を体験する機会が増えてくることでしょう。
そんなときに、表現者側と鑑賞者側、そしてそれをつなぐキュレーター側のマナー、あるいは約束事、プロトコルのようなものが必要になってきます。先駆者として、これまで展示のたびに経験してきたことをまとめました。
作家側:
1. あくまで人間に対するものを作らねばなりません。まず、虫が寄ってきたらアウトです。美術館には、人類の遺産を保存する役目があり、害虫に対する厳しいプロトコルがあります。何を隠そう私も失敗したことがあります。オランダ・ライデンの美術館で、ゲイシャが長崎出島で嗅いだであろう「肉の匂い」を展示していたところ、記録的な夏日の連続により香料が腐ってしまい、蝿が入りこんでしまいました。美術館スタッフ警備員総出で、ハエたたきを片手に、退治するという地獄絵。当然、この作品は展示中止となりました。ヒト科以外、他の生物を意識した作品を展示するときは、それにふさわしい環境を作ってからにしましょう。
2. 鑑賞者に「そこに匂いがある」と認識してもらわないといけません。どんなに強い匂いを発したとしても、展覧会場に来た人には、それがアート作品である、あるいは関連したものであると理解するのは、とても難しいのです。センサーじかけにせよ、手にとって嗅ぐ仕組みにせよ、美術のコンテキストで匂いが使われているという経験は、ほとんどの鑑賞者にとって初めてのことです。「PLEASE DO NOT TOUCH」が当たり前なので、普通は香りが入っている瓶を「作品」と考えてしまいます(笑)かといって、「匂いを嗅いでください」と大きく掲示するのも、ちょっと無粋。この障壁をいかにスマートにクリアするかが、腕の見せ所です。
3. さて、鑑賞者が「そこに匂いがある」ことを理解したとして、次に問題になるのは、多くの人は(特に男性、中年以上は)、匂いを嗅ぎたがらないという事実です。匂いを吸い込むのはある種の恐怖。無理強いしてはいけないのは当たり前ですが、作家側が気をつかうべきことは、インターフェースのデザインです。強制的に匂いを嗅がせるインターフェースは、恐怖を煽ります。例えば「このマスクを顔に装着ください。匂いが出てきます。」と指示されるような作品を、あなたは積極的に体験したいと思いますか。変な気体が出てこないと、誰が保証してくれるのでしょうか。ここで作家は、なるべくたくさんの自由を鑑賞者に与えるべきです。例えば 「1: 瓶の蓋をあけてください 2: 鼻をゆっくり近づけたり離したりしながら、匂いを確かめてください」などの、香りとの距離を自由に取れる状況を生んであげましょう。タイミングも、好きな時に自由に嗅げる、といった状況が理想的です。それが鑑賞者に保証されているだけで、鑑賞者は安心して体験してみようと思うことができるでしょう。
4. 作家が何かのメッセージなりステートメントを作品に委ねたいとすれば、それはかなりの確率で伝わらないということを覚悟しましょう。性別、年齢、投薬状況、お腹の空きぐあい、喫煙や飲酒の習慣、文化的背景など、嗅覚の個人差が大きいのです。なので、どうしても香りでないとその役割を果たせない場合のみ使いましょう。
5. センセーションナルな話題性を目的として、生理的な反応を誘う匂い(フェロモンやウンチの臭いなど)を使うべきではありません。話題にはなるかもしれませんが、知的な観客を育てることはできません。好奇心レベルで終わってしまっては、未来の嗅覚文化を育むにあたって意味がありません。香りを「文化」の土壌で表現に使う以上、私たちは観客を、そしてキュレーターを育てる使命があるのです。同じように「癒し効果」を目的とするアロマとも一線を画すべきです。嗅覚は長い人類の歴史において、腐った食べ物を嗅ぎ分けたり、生殖目的に使われるのに忙しかったはずです。香りは、その殺菌効果が生命維持の役に立ちましたし、神や祖先への捧げ物でもありました。審美的な目的に使われるようになったのは、近代に入ってからのことなのです。まだ見ぬ人間の嗅覚の可能性をとことん追求しましょう。
5. 匂い香りを展示に使うとき。香りがきちんと「香り立つ(鑑賞者の鼻腔まで分子が届く)」よう配慮すべき要素がたくさんあります。
- 環境臭
- 湿度
- 温度
- 風圧
- 風向き
- 換気のパワー
- 香料の鮮度
- 香料の濃度
- 香料の一般的な閾値(香料ごとに違う)
- 鼻がバカにならないよう、嗅ぐ順番(トップノート→ベースノート、天然→合成)
- 溶剤の揮発度に合った嗅ぐ方法
- アルコールの場合はまず10秒おいてアルコールを揮発させてから
キュレーター側:
1. 複数の嗅覚アート作品を一堂に配する場合、基本はひとつの完全に区切られた部屋に1つの作品です。匂いには、空間中で混ざってしまう特性があるためです。パーティションは天井含め全方向作る必要があります。
2. その上で、個々の部屋の常時換気に配慮する必要があります。換気が足りない場合、匂いがこもってしまい、本来の立体的な香りが平坦な香りになってしまいます。写真に例えるとすれば、「解像度」が落ちます。
3. 鑑賞者の動線を考える場合は、天然→合成、トップノート→ベースノート の順番を守ることが必要です。
4. アレルギー対策について。「香害」などという言葉を聞く昨今です。あらかじめ美術館側でそのリスクがあることを認識し、リスクを取る覚悟がある場合のみ、作家に依頼してください。作家が企画を一生懸命に練ってから、最後の最後でアレルギーへのリスクが理由でキャンセルになるケースが後を断ちません。作家の表現の自由は保障されるべきです。アレルギー対策の専門家は、必要なのであれば、美術館側が用意するべきです。(とはいえ、欧米で10年以上展示してきましたが、全くこの点が問題になったことはありません。展覧会は表現の場で、サービスの場ではなく、アレルギーがありながら作品を嗅ぐのであればその人の行為に問題があるという、常識的な理解があります。日本はヒステリックすぎるように思われます)
5. 香りは食べ物と一緒で、鮮度が保てません。なので、作家側のポートフォリオは基本的には写真や映像ベースのものとなり、匂いのサンプルは期待できません。仮に香りの鮮度を保てたとしても、その空間、その体験を同じように追体験することは難しいケースが多いものです。作家は多くの場合、それが過去作品のリピート展示だったとしても、その都度新しい香料をオーダーし、調香しています。
6. 香りは食べ物と一緒で、次の日には腐っている、そんなこともよくあります。毎日の巡回で作品の状態を嗅ぎながらチェックし、最高の状態で体験を提供するのは、キュレーター(美術館側)の役目です。また、毎日スプレーしたりカートリッジを入れ替えたりなどの、大変な労力のメンテナンスが必要となることを知っておいてください。
6. 香りは食べ物と一緒で、次の日には腐っている、そんなこともよくあります。毎日の巡回で作品の状態を嗅ぎながらチェックし、最高の状態で体験を提供するのは、キュレーター(美術館側)の役目です。また、毎日スプレーしたりカートリッジを入れ替えたりなどの、大変な労力のメンテナンスが必要となることを知っておいてください。
観客側:
1. 香りに少しでもアレルギーがある方は、展示に来るのは控えてください。香害という言葉がありますが、展覧会という表現の場においては少なくとも、それは香りを発する側の問題ではなく、受け取る側の問題です。
2. 嗅覚アートは、アロマではありません。癒しでもセラピーでも、効果効能を問うものでもありません。美術や音楽のような、芸術表現の一形態です。
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