教えるって、ひたすら愛を注ぐ「ご奉仕」の仕事




私が現在教えている "Art Science"という学部 (www.interfaculty.nl) は、

オランダ王立美大 (www.kabk.nl)と王立音大 (www.koncon.nl)の共同設置学部です。

日本で言えば東京芸大にあたる、オランダのアート界では名門校です。

そんなところで、なぜ私のような日本人が教えることができるのか・・・不思議ですよね。



この学部は、哲学者であり教育者である Frans Evers と、作曲家の Dick Raaijmakers により、80年代に"Sound and Image Department” という名で創設されました。

世界的にはそれほど名が知れた学部ではないのですが、

オランダでは早くから広義のメディア・アートを実践している学部として知られています。

哀しいことに創設者はふたりとも、ここ数年で次々に逝ってしまいましたが、

その初期の教え子たちと、その教え子たちが成長して次々と先生になりました。



私はオランダ移住当時から、彼らと公私共々仲良くしています。

興味や仕事領域、捉え方や考え方が似てるんですね。

そういう人たちと展示のオープニングやイベント、パーティなどで会って、

ビールやワインを交わしながらあーだこーだ語り合う、

そんなことの積み重ねが、この仕事に巡り会わせてくれたと思っています。

つまり、お酒を交わすって、古今東西、大事なんですよ! 笑



アーティストって、半分くらいは呑みの仕事なんじゃないかな・・・

じつは水商売。 笑

呑めないとやってけないというわけではないけど、けっきょく人脈ありきの仕事なので。

今のように名が通るようになった後は、別に必要ではありませんけどね。



私はここで3年前に初めて、3週間ワークショップの講師をやらせていただきました。

内容は今年と同じ "Smell and Art" です。

当時、女性の講師はひとりもおらず、おまけに私はアジアからの移民・・・マイノリティ。

威厳のあるオランダ人男性のズラッと並ぶ講師陣の中にあっては、

こんな小さなアジアの女が教えるなんて、学生にとっても異例中の異例でした。



それでもチャンスを与えられた事に深く深く感謝し、

教えることに慣れてない私も、拙い言葉で必死にやり遂げました。

教え子のうちひとりは、その時に作ったゲームを土台にして修士論文を書き、

またこのコースにインスパイアされた生徒が去年、匂いの作品を発表して卒業しました。

教えることの歓びを感じる瞬間です。


ここではただ「匂いの作品」を作ればいいという授業ではありません。

「匂いのゲーム」を作ってもらっています。

嗅覚のアートを作る初心者は、

「匂い」と「記憶」あるいは「感情」「フィーリング」にまつわる作品を作りがちで、

そういう抽象的なものは鑑賞の対象としては批評することが難しいのです。

「これが私の幼少のころの記憶です。匂いでダイレクトに感じて!」という匂いの作品を見せられても、

課題作品としては、どう点数をつけていいか悩みますよね。



ゲームを作るためには、ルールを決める必要があります。

そして、じぶんの手の内を隠す方法、つまり情報をコーディングする方法を考える必要があります。

そして、ランダム性や、「逆転」などの盛り上げの手法も考えると更に良い。

なにも自分でゲームを一から作る必要はなく、

すでに伝承の中にある「遊び」をちょっと組み替えて、匂いをそこに使いなさい、とナビゲートしています。


「先生」というとエラそうだし、かっこ良く聞こえますが、

教えるということは、無限に愛を注ぐ行為。体力だけでなく精神力も使います。

大学生には「じぶんは自立した大人である」という自我があるので、そこを愛しつつ、問題を指摘し、修正しなければいけない・・・。

しかもそれを「他人から指摘された」ではなく、「自分で気づいた」と思わせるようにね。

SかMかでいったら、とことんM。ひたすらご奉仕の仕事なんですよ! 



早くも2週目が終了。

準備も含め、一日一日が気が抜けないので、授業が終わったら、誰もいなくなった教室でしばしボーッとしています。


でも、真剣に取り組んでる姿や、その成長ぶりを見ると、カワイいと思え、もっとサポートしてあげたくなる。そして私も充実感を得る。

そんな愛の循環です。


残るあと1週。ここからが本番の、精神戦です。














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