とあるインタビューQ&A
Q: もともと香りに対して敏感でしたか?それとも、その敏感さや感覚は誰でも作り上げる事が可能だと思いますか?
A: もともと好きでした。子供のころにポプリを作るのが趣味だったので。ただ、敏感さとはまた違うかもしれません。私の母は匂いを仕事とはしていませんが、私よりよっぽど匂いに敏感で神経質です。過敏ともいえるくらい。母の場合はそういう生まれながらの性質なのかもしれません。
私の場合は、好きであり、興味がある(悪臭であっても)ので、理解も深まり、敏感になっていったのかもしれません。きっと興味があれば誰でもそうなっていくと思います。
Q: いつ、そして何がきっかけで香りへの興味がわきましたか?
A: 幼少の頃にも興味があったのですが、アートの手段として取り組み始めたのは2004年の妊娠・出産がきっかけでした。ホルモンのせいだと思うのですが、ゴミ箱の匂いが気になってしょうがなくて、部屋の隅に隠すのですが、それでも気になって、とうとう外に出してしまったことがあります。そして生まれたばかりの息子とのコミュニケーションも、嗅覚だけでない本能的な感覚によるもので、おどろきました。それがおもしろかったんです。
Q: 上田さんの活動をおこなっている中で、いつ、それがアートにもなると思い始めましたか?最初の頃、上田さんの行う活動は何と呼ばれていましたか?
A: 私はもともと大学で、マクルーハンに影響を受けた学問(環境情報学)を学んでおり、卒業後もメディア・アートやインタラクティブ・アートをやっていたので、匂いもアート表現のひとつの「メディウム」として捉えるというのは、ごく当たり前のことでした。なので、最初から、次の時代のアートとして意識的に取り組みました。記念すべき1作目は、様々なお茶やコーヒーの匂いを蒸留で抽出して「MENU FOR THE NOSE」という作品を作りました。
当時は olfactory art という言葉は一般的ではなく、自分の活動を表現する言葉を自分で考えました。最初はscent art あるいは smell art など簡単でわかりやすい表現を使っていましたが、そのうち私が興味あるのは匂いではなく嗅覚であることがわかってきて、 olfactory artist というふうに自己紹介するようになりました。(その時に、gmailのアカウントで、 olfactoryart というユーザー名を取りました)
じつは当時、メディア・アートの世界ではMITの周辺ですでに haptic art が成立していたので、その延長で olfactory art という言葉が思い浮かんだのです。私が突然メディア・アートから抜けて、電気を使わない超アナログな嗅覚アートをやりはじめたのに周囲は驚いていましたが、私には当時から、このアートフォームが現在のように発展するビジョンが描けていました。なので、冒険する価値はあると思ったのです。
Q:「香り」は新しいメディアだと仰っていますが、技術の発展と様々な問題を抱えている今の世の中、香りはどのような重要性があると思いますか?
A: いま生きることをあらためて考えさせてくれるものだと思います。私たちは、息をしながら、生きています。そのたびに実は匂い分子を取り込み、嗅いでいる。それだけ生きることにつながる、本能的な感覚です。大事なものは何かを見失った時、よい匂いを嗅ぐといいのかもしれません。嗅覚に意識的になることは、健康にも良い影響をもたらすはずです。
Q: 人々は忙しい生活を送っているため、4つの感覚に気付かず過ごすことがあると思いますか?これは人の記憶に影響を及ぼすと思いますか?
A: 記憶どころか、生きていることの豊かさを忘れてしまうのではないでしょうか。いまこの瞬間、そこで嗅いでいる香りは、その時の、あなただけのものです。もう2度と追体験することはできないし、他の人が同じ体験することもできません。そんな貴重な機会を逃しながら生きる人生って、もったいないですよね!
Q: 国民によって、香りに対して敏感だったり鈍感だったりしますか?
A: 嗅覚の国民性に関しては、生まれ育った日本はとくにユニークだと思います。1000年以上も昔から、日本人は香と詩歌のマッチングゲームのような遊びを嗜んでいました。それがのちに香道へと発展します。匂い・香りは分子であり物質なのに、それを日本人は現象として捉え、想像の世界で抽象的に遊びます。
一方で、西洋では匂い・香りはもっと物質的です。「生物のシグナル」的な捉え方をします。匂いが染みついたハンカチを渡して異性を誘ったり、香水をフェロモン的に使ったり。病気の原因は悪臭であるというふうに捉えられていた時代もあり、病気に打ち勝つために匂いが使われてきた歴史もあります。
日本人としてのバックグラウンドは確実に私の作品に反映されていると思います。
A: もともと好きでした。子供のころにポプリを作るのが趣味だったので。ただ、敏感さとはまた違うかもしれません。私の母は匂いを仕事とはしていませんが、私よりよっぽど匂いに敏感で神経質です。過敏ともいえるくらい。母の場合はそういう生まれながらの性質なのかもしれません。
私の場合は、好きであり、興味がある(悪臭であっても)ので、理解も深まり、敏感になっていったのかもしれません。きっと興味があれば誰でもそうなっていくと思います。
Q: いつ、そして何がきっかけで香りへの興味がわきましたか?
A: 幼少の頃にも興味があったのですが、アートの手段として取り組み始めたのは2004年の妊娠・出産がきっかけでした。ホルモンのせいだと思うのですが、ゴミ箱の匂いが気になってしょうがなくて、部屋の隅に隠すのですが、それでも気になって、とうとう外に出してしまったことがあります。そして生まれたばかりの息子とのコミュニケーションも、嗅覚だけでない本能的な感覚によるもので、おどろきました。それがおもしろかったんです。
Q: 上田さんの活動をおこなっている中で、いつ、それがアートにもなると思い始めましたか?最初の頃、上田さんの行う活動は何と呼ばれていましたか?
A: 私はもともと大学で、マクルーハンに影響を受けた学問(環境情報学)を学んでおり、卒業後もメディア・アートやインタラクティブ・アートをやっていたので、匂いもアート表現のひとつの「メディウム」として捉えるというのは、ごく当たり前のことでした。なので、最初から、次の時代のアートとして意識的に取り組みました。記念すべき1作目は、様々なお茶やコーヒーの匂いを蒸留で抽出して「MENU FOR THE NOSE」という作品を作りました。
当時は olfactory art という言葉は一般的ではなく、自分の活動を表現する言葉を自分で考えました。最初はscent art あるいは smell art など簡単でわかりやすい表現を使っていましたが、そのうち私が興味あるのは匂いではなく嗅覚であることがわかってきて、 olfactory artist というふうに自己紹介するようになりました。(その時に、gmailのアカウントで、 olfactoryart というユーザー名を取りました)
じつは当時、メディア・アートの世界ではMITの周辺ですでに haptic art が成立していたので、その延長で olfactory art という言葉が思い浮かんだのです。私が突然メディア・アートから抜けて、電気を使わない超アナログな嗅覚アートをやりはじめたのに周囲は驚いていましたが、私には当時から、このアートフォームが現在のように発展するビジョンが描けていました。なので、冒険する価値はあると思ったのです。
Q:「香り」は新しいメディアだと仰っていますが、技術の発展と様々な問題を抱えている今の世の中、香りはどのような重要性があると思いますか?
A: いま生きることをあらためて考えさせてくれるものだと思います。私たちは、息をしながら、生きています。そのたびに実は匂い分子を取り込み、嗅いでいる。それだけ生きることにつながる、本能的な感覚です。大事なものは何かを見失った時、よい匂いを嗅ぐといいのかもしれません。嗅覚に意識的になることは、健康にも良い影響をもたらすはずです。
Q: 人々は忙しい生活を送っているため、4つの感覚に気付かず過ごすことがあると思いますか?これは人の記憶に影響を及ぼすと思いますか?
A: 記憶どころか、生きていることの豊かさを忘れてしまうのではないでしょうか。いまこの瞬間、そこで嗅いでいる香りは、その時の、あなただけのものです。もう2度と追体験することはできないし、他の人が同じ体験することもできません。そんな貴重な機会を逃しながら生きる人生って、もったいないですよね!
Q: 国民によって、香りに対して敏感だったり鈍感だったりしますか?
A: 嗅覚の国民性に関しては、生まれ育った日本はとくにユニークだと思います。1000年以上も昔から、日本人は香と詩歌のマッチングゲームのような遊びを嗜んでいました。それがのちに香道へと発展します。匂い・香りは分子であり物質なのに、それを日本人は現象として捉え、想像の世界で抽象的に遊びます。
一方で、西洋では匂い・香りはもっと物質的です。「生物のシグナル」的な捉え方をします。匂いが染みついたハンカチを渡して異性を誘ったり、香水をフェロモン的に使ったり。病気の原因は悪臭であるというふうに捉えられていた時代もあり、病気に打ち勝つために匂いが使われてきた歴史もあります。
日本人としてのバックグラウンドは確実に私の作品に反映されていると思います。
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