「メディアアートの歴史、ひと区切りついたね」


きょうはメディア・アート関係の人しかわからない内容の記事となってしまいますが、なにしろわたしの歴史の一部、何卒ご容赦を。

昨晩はV2の35周年パーティでした。90年代にDEAFのキュレーターを務め、その後トランスメディアーレを作ったアンドレアスが「マシン・アート」の本を出版したので、その発表会を兼ねてました。想像通り、90年代〜2000年初頭のメディアアート界をウロウロしていた仲間たちの同窓会でした。


前回の記事で書いたとおり、わたしは96年DEAFに参加した藤幡正樹先生が展示会場を撮ったそのビデオに衝撃を受け、「こんなかっこいい世界があるのか!」とオランダに関わり始めました。みんな飲みながら語るのが大好きで、わたしもすぐに仲間になり、影響を受け、美大も出てないのにメディア・アーティストになったのでした。おそらくV2がなかったら、わたしはアーティストにすらなっていなかっただろうし、オランダにこんなに長く住むこともなかったろうと思います。

ついでですが、V2は Ars Electronica に並んで、世界的にはもっとも重要なメディアアート・インスティテュートのひとつされてますが、もとはといえば35年前、オランダの田舎で美大を卒業したばかりの4人の若者により作られたグループでした。そのうちのふたりが、アレックスとヨーカです。当時はビデオアートの全盛期だったので、 今はなき Montevideo と重なる領域を避けるため、その名前を「Institute for Unstable Media」としました。前衛的な活動をきちんと残して伝えていくため、パブリッシング部門をきちんと設け、これまでに40冊出版してます。その評判により、ロッテルダム市に招かれ、今でも助成金のほとんどはロッテルダム市から来ているとのこと。

わたしも作家としてのスタートアップ時期はずいぶんV2にお世話になりました。その後も嗅覚アートのイベントに呼ばれたり、ロッテルダム映画祭でキュレーションさせてもらったりと、ファミリー的な関係を保ちながら今に至ります。ディレクターのアレックスは、恩人のひとりです。今は癌の治療中で、また会えるだろうかと心もとないのですが、会場では自ら率先して椅子を片付けてました。アレックスらしい! 96年のDEAFでも、自ら会場設置を手伝っていたと、師からも聞いていました。アレックス、変わらないな。かっこよくてチャーミングでジェントルでセクシーなアレックス、健在です。↓見にくい映像ですが。

パネラーは著者のアンドレアス・ブルックマンの他、アムステルダムのDe Balie を長年率いたエリック・クラウテンバーグ(今はわたしの学校の同僚)、モデレータは元モンテビデオのキュレーター、アネット。そうそうたるメンバーでした。

そこで誰かが言い出したのです。「メディアアートはいま、別の時代にいる」皆が頷いていました。まずみんなが小さなコンピュータ「スマホ」を持ち歩く時代になった。AIそしてBio Tech Artの隆盛。「古き良き時代」のメディアアートは去った、と。

わたしも同感かな。今年、わたしが住むリゾートアイランド石垣島にもなんと、メディア芸術祭が巡回してくるのです。まさにメディアアートが、市民権を得たことの証といえます。私自身はメディア・アートを離れて10年以上経つし、古き良き時代の人なので、その内容をおもしろいと思えるかは疑問ですが、息子はまちがいなく楽しむでしょうね。そう、メディアアートも、世代交代なのでしょう。

古き良き時代は、ほんとうにエキサイティングでした。その求心力で繋がっていた人たちが、一同に会していた昨晩は、まさに饗宴でした。余談ですが、三上晴子さんのこともアンドレアスは取り上げてました。あの世で喜んでいるでしょうか...。

JODIのパフォーマンス、おもしろかったです!でも画角が...




そうだ昨日は、ヨガにも行き、みっちりしごかれました(汗)わたしのヨガの師は、わたしの体に起こってることを、一瞬で見抜く。長年教えてもらっているので...。

しごかれた後のランチは、なつかしのカフェで。山羊チーズとブルーベリーのオーブン料理。




きょうもまた、仕事、がんばりました。残すところ、あと1日... 島の暮らしに慣れてしまうと、通勤がめんどうです。



















ハーグの王立美術大では折しも、マクルーハン・フェスティバルみたいのやってます。ちょっと覗いてきました。わたしの頭は、先週からのエキサイティングなレクチャー続きでパンクしそう。











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