嗅覚のための迷路展 Q&A (長いです)
嗅覚のための迷路展について、質問に答えてもらえないかというご要望にお応えしたときの回答です。 (長いです)
1)先ず、お話をいただいた時のお気持ちとかリアクションとか、感想いただけますか。
このお話をいただいた頃は、日本の名だたる美術館からいくつもオファーをいただきながら、コンテキストや空間に関する条件が合わず実現できなくなってしまったので、日本では嗅覚アートの展示は所詮無理なのだろう、と絶望のどん底にいた頃でした。無論そんなのは、まあ、たまたまだったのでしょうけど…私も落ち込むことはあります。
そんな最中だったので、ほんとうにできるのかなあ? と正直、半信半疑でしたので、まずこう問い詰めました。「日本の公共美術館での嗅覚芸術は前例がないので、いろんな障害が出てくるでしょう。覚悟はありますか?」怖かったでしょうね。(笑)
2)藤本さんの思いをどのように表現しようと思いましたか
藤本さんはひとつひとつの作品をしっかり理解して、その良さを最大限に生かそうとしてくれる学芸員さんでした。ですので、こちらも遠慮なく提案することができました。藤本さんからの打ち返しも素晴らしかったですね。学芸員さんは通常、作家と社会を繋ぐ立場にあるので、問題が発生した時、どうしても建前を優先しがちですが、藤本さんはふだん控えめながら、「どうしてもこの作品が見たい!(私が)体験したい!」という想いが溢れ出ている。私は建前を嫌いますが、そういう個人の想いには弱い。
今回は予算の都合と、商標に抵触する恐れなどから、展示内容が2転3転し、藤本さんのいちばん見たかった作品は諦めざるを得なかった。でも結果として、2つも新作を作ることになりました。全館を埋める展示の割にはタイトな予算の中、3作品のうち2つ新作というのはやはり、お互いの信頼が構築されたからでしょうね。
作家は、よき理解者となるキュレーターとの出会いにより、初めて作家になれるということを、あらためて実感しました。
3)今回、日本の美術館で初めて嗅覚の展示会が実現した背景として、社会の流れというか世相というかどのようにお考えですか。
香りに興味を寄せる人は、増えてはいます。けれども、「香害」という言葉が流行り出したこともあり、嗅覚芸術はむしろ逆境に向かっていると思います。作品を展示する母体(=美術館)には、社会的な責任があるからです。
今回はたまたまこの美術館だったから、そして理解ある館長さんと藤本さんがチームだったから、実現できた。その意味で、我々のチームは、パイオニアなんです。気づいたら、すごいことをしてました。
こうして道が開かれたとはいえ、今後嗅覚芸術の展示が増えてくるとは思えません。「香害」問題に加え、キュレーターの地位も低いため、懸念する上層部を説得するのは容易ではないからです。作家にとっては、海外の方で機会が増えてくるでしょうから、日本に発表の場を求める必要もないですし。
嗅覚芸術に関わらず、日本の美術館は、リスクを取りたがらない。おまけに日本では、作家の立場も弱いです。キュレーターが味方だったとしても通常、美術館の枠組みや、上層部、世間の「空気読め」的な圧力がかかる。もうこれは、日本の構造的な問題です。私自身は、新しいものを生み出さないと意味がない的なオランダのアートシーンで育ってきたので、今後も引き続き海外に発表の場を求めていくと思います。
日本は、どうなるでしょうね。若い世代に頑張ってもらいたいです。
4)今回のお話をもらって実現して、もうすぐ閉館するのですが、今後に期待することはなんですか。
前項で日本における嗅覚芸術の問題点を挙げましたが、それに対するひとつの回答を、この美術館は提供していたように思います。
まず、視聴覚障害者のツアーを行ったこと。SDGのような社会的意味がアートにも求められる昨今、こんな風にむしろ利用してもらえたら(それはちょっとズルいやり方ではありますが)、嗅覚芸術ももっとやりやすくなるでしょうね。作家が社会的意味を謳うとワザとらしいので、「作品に隠れた意味を見出す」のは学芸員にしかできないことなんです。
そして、「不便な場所にある地方美術館」と嗅覚芸術の相性はとても良いと感じました。嗅覚芸術は、けっこう積極的に、がんばって嗅がないと楽しめないのです。この美術館も、がんばってそこへ行かないといけない場所にあるため、おのずとがんばって嗅ぐ人しか来ないわけで。最近のSNSの流行りで、みんな写真を見て行った気になりますが、この展示ばかりは行かないと何がなんだかわかりませんからね。
都会型の、来場者の絶えない場所であったなら、体験する気のない傍観者を作ってしまい、それが空間に障りになる可能性もあったでしょう。「不便な場所にあって良かった!」のです。こんな展示を今後も期待しています。
5)その他、感じたことなどなど教えてください。
折しも「不自由展」騒動の最中、名古屋近隣での展示となり、いろいろ考えました。私は政治的な表現はやりませんが、日本のアートシーンで感じてきたことはやはり「不自由」でした。欧米では作家の自由が最大限に尊重されますからね。
完全に自由ではない。でも、ともに歩んでくれるパートナーは、いるんです。これは私にとって希望となりました。「この人の、この作品が見たい!」その欲望に応えるために、私は生きているのだと思います。
1)先ず、お話をいただいた時のお気持ちとかリアクションとか、感想いただけますか。
このお話をいただいた頃は、日本の名だたる美術館からいくつもオファーをいただきながら、コンテキストや空間に関する条件が合わず実現できなくなってしまったので、日本では嗅覚アートの展示は所詮無理なのだろう、と絶望のどん底にいた頃でした。無論そんなのは、まあ、たまたまだったのでしょうけど…私も落ち込むことはあります。
そんな最中だったので、ほんとうにできるのかなあ? と正直、半信半疑でしたので、まずこう問い詰めました。「日本の公共美術館での嗅覚芸術は前例がないので、いろんな障害が出てくるでしょう。覚悟はありますか?」怖かったでしょうね。(笑)
2)藤本さんの思いをどのように表現しようと思いましたか
藤本さんはひとつひとつの作品をしっかり理解して、その良さを最大限に生かそうとしてくれる学芸員さんでした。ですので、こちらも遠慮なく提案することができました。藤本さんからの打ち返しも素晴らしかったですね。学芸員さんは通常、作家と社会を繋ぐ立場にあるので、問題が発生した時、どうしても建前を優先しがちですが、藤本さんはふだん控えめながら、「どうしてもこの作品が見たい!(私が)体験したい!」という想いが溢れ出ている。私は建前を嫌いますが、そういう個人の想いには弱い。
今回は予算の都合と、商標に抵触する恐れなどから、展示内容が2転3転し、藤本さんのいちばん見たかった作品は諦めざるを得なかった。でも結果として、2つも新作を作ることになりました。全館を埋める展示の割にはタイトな予算の中、3作品のうち2つ新作というのはやはり、お互いの信頼が構築されたからでしょうね。
作家は、よき理解者となるキュレーターとの出会いにより、初めて作家になれるということを、あらためて実感しました。
3)今回、日本の美術館で初めて嗅覚の展示会が実現した背景として、社会の流れというか世相というかどのようにお考えですか。
香りに興味を寄せる人は、増えてはいます。けれども、「香害」という言葉が流行り出したこともあり、嗅覚芸術はむしろ逆境に向かっていると思います。作品を展示する母体(=美術館)には、社会的な責任があるからです。
今回はたまたまこの美術館だったから、そして理解ある館長さんと藤本さんがチームだったから、実現できた。その意味で、我々のチームは、パイオニアなんです。気づいたら、すごいことをしてました。
こうして道が開かれたとはいえ、今後嗅覚芸術の展示が増えてくるとは思えません。「香害」問題に加え、キュレーターの地位も低いため、懸念する上層部を説得するのは容易ではないからです。作家にとっては、海外の方で機会が増えてくるでしょうから、日本に発表の場を求める必要もないですし。
嗅覚芸術に関わらず、日本の美術館は、リスクを取りたがらない。おまけに日本では、作家の立場も弱いです。キュレーターが味方だったとしても通常、美術館の枠組みや、上層部、世間の「空気読め」的な圧力がかかる。もうこれは、日本の構造的な問題です。私自身は、新しいものを生み出さないと意味がない的なオランダのアートシーンで育ってきたので、今後も引き続き海外に発表の場を求めていくと思います。
日本は、どうなるでしょうね。若い世代に頑張ってもらいたいです。
4)今回のお話をもらって実現して、もうすぐ閉館するのですが、今後に期待することはなんですか。
前項で日本における嗅覚芸術の問題点を挙げましたが、それに対するひとつの回答を、この美術館は提供していたように思います。
まず、視聴覚障害者のツアーを行ったこと。SDGのような社会的意味がアートにも求められる昨今、こんな風にむしろ利用してもらえたら(それはちょっとズルいやり方ではありますが)、嗅覚芸術ももっとやりやすくなるでしょうね。作家が社会的意味を謳うとワザとらしいので、「作品に隠れた意味を見出す」のは学芸員にしかできないことなんです。
そして、「不便な場所にある地方美術館」と嗅覚芸術の相性はとても良いと感じました。嗅覚芸術は、けっこう積極的に、がんばって嗅がないと楽しめないのです。この美術館も、がんばってそこへ行かないといけない場所にあるため、おのずとがんばって嗅ぐ人しか来ないわけで。最近のSNSの流行りで、みんな写真を見て行った気になりますが、この展示ばかりは行かないと何がなんだかわかりませんからね。
都会型の、来場者の絶えない場所であったなら、体験する気のない傍観者を作ってしまい、それが空間に障りになる可能性もあったでしょう。「不便な場所にあって良かった!」のです。こんな展示を今後も期待しています。
5)その他、感じたことなどなど教えてください。
折しも「不自由展」騒動の最中、名古屋近隣での展示となり、いろいろ考えました。私は政治的な表現はやりませんが、日本のアートシーンで感じてきたことはやはり「不自由」でした。欧米では作家の自由が最大限に尊重されますからね。
完全に自由ではない。でも、ともに歩んでくれるパートナーは、いるんです。これは私にとって希望となりました。「この人の、この作品が見たい!」その欲望に応えるために、私は生きているのだと思います。
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