2019年元旦に寄せて 近況報告
あけましておめでとうござます。
昨年中はみなさまに大変お世話になりました。今年もご指導、ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます。
最近は自分の生活(おもに母親業)に必死で、近況報告もままならず。この際一気に、ご報告させていただきます。
昨年9月末より、今年の2月半ばまでは、息子の高校受験につきそい、実家のある千葉を拠点としています。
ですが、仕事場は石垣島に残したままなので、
年末年始は石垣島に飛び、アトリエに籠もり、展覧会の準備に励んでおりました。
日本での依頼が順調に増えています(同時に実現しなかった案件も増えています...笑。日本で新しいことをやろうとすると、やはり壁もあります。)
通信教育「香りの学校」も順調で、生徒が育ってきていることに喜びを感じています。
振り返るのは得意ではないのですが、2018年を振り返ると...
国内では、
あたりかな? なにか忘れているような気がしてなりませんが...
折しも、ロッテルダムのメディア・アート・インスティテュートV2創設者のアレックス・アドリアーンセンが、年末の30日に亡くなったという悲しいニュースが飛び込んできました。
お葬式に出れるわけでもないので、ここに私のやり場のない私の気持ちを綴るのみとなってしまいますが...
彼は世界中のメディア・アーティストに機会を与え、影響を与えてきた人でした。私自身も例外ではなく、オランダでのスタートアップ時代より、ずっと支援いただきました。もとはというと、私の師匠が彼と友人だったことにより、私はオランダにご縁ができたという経緯があります。つまり、私の人生を変えた、そう言っても過言ではない方です。初めてお会いしたのは確か23歳の頃で、最近までずっと変わらぬ支援をくださった、恩人そのものです。
誰にも暖かく優しく、ポジティブに接してくれる人でした。誰よりも仕事をし(土日もオフィスにいました)、ディレクターなのに現場でドライバーを握る人でした。最後に会ったのは1年ちょっと前、確か25周年イベントでしたが、やはり自ら会場の椅子を片付ける人でした。
仕事もたくさんご一緒させていただきましたが、難しいことも厳しいことも、優しい微笑みでおっしゃる人でした。私のようにアジア人として西洋で戦うとき、彼のこの暖かさは救いでした。彼には半分アジア人の血が流れており、そのような背景が、この奇跡のようなヒューマニティを生んだのかもしれません。
ただその人柄が今は懐かしく、ジーンときています。私もこのような種の撒き方ができるだろうか、そう自問自答せざるをえない元旦となりました。
アレックス、あなたにお会いできて、一緒にお仕事できて、光栄です。ほんとうにどうもありがとう。
昨年中はみなさまに大変お世話になりました。今年もご指導、ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます。
最近は自分の生活(おもに母親業)に必死で、近況報告もままならず。この際一気に、ご報告させていただきます。
昨年9月末より、今年の2月半ばまでは、息子の高校受験につきそい、実家のある千葉を拠点としています。
ですが、仕事場は石垣島に残したままなので、
年末年始は石垣島に飛び、アトリエに籠もり、展覧会の準備に励んでおりました。
- 2019年2月〜2020年2月 @スイス、ローザンヌにて、嗅覚のための迷路 ver.2
日本での依頼が順調に増えています(同時に実現しなかった案件も増えています...笑。日本で新しいことをやろうとすると、やはり壁もあります。)
通信教育「香りの学校」も順調で、生徒が育ってきていることに喜びを感じています。
振り返るのは得意ではないのですが、2018年を振り返ると...
- Art and Olfaction Award の受賞(ロンドン)
- ブラジル/ジャパンハウス での展示
- アメリカ/ポートランドでの展示
- オランダ/アムステルダムMediamatic "Odorama" 参加
- オランダ/アムステルダムMediamatic "Het Perfume" 参加
- 香港LOFTWORKでのWS
国内では、
- 渋谷アツコバルーでの「なつかしさの匂い」展示
- 東京LOFTWORK/MTRL TOKYO でのWS
- Wild Mind Go Go への寄稿→出版
- 岐阜IAMASで教えた
あたりかな? なにか忘れているような気がしてなりませんが...
折しも、ロッテルダムのメディア・アート・インスティテュートV2創設者のアレックス・アドリアーンセンが、年末の30日に亡くなったという悲しいニュースが飛び込んできました。
お葬式に出れるわけでもないので、ここに私のやり場のない私の気持ちを綴るのみとなってしまいますが...
彼は世界中のメディア・アーティストに機会を与え、影響を与えてきた人でした。私自身も例外ではなく、オランダでのスタートアップ時代より、ずっと支援いただきました。もとはというと、私の師匠が彼と友人だったことにより、私はオランダにご縁ができたという経緯があります。つまり、私の人生を変えた、そう言っても過言ではない方です。初めてお会いしたのは確か23歳の頃で、最近までずっと変わらぬ支援をくださった、恩人そのものです。
誰にも暖かく優しく、ポジティブに接してくれる人でした。誰よりも仕事をし(土日もオフィスにいました)、ディレクターなのに現場でドライバーを握る人でした。最後に会ったのは1年ちょっと前、確か25周年イベントでしたが、やはり自ら会場の椅子を片付ける人でした。
仕事もたくさんご一緒させていただきましたが、難しいことも厳しいことも、優しい微笑みでおっしゃる人でした。私のようにアジア人として西洋で戦うとき、彼のこの暖かさは救いでした。彼には半分アジア人の血が流れており、そのような背景が、この奇跡のようなヒューマニティを生んだのかもしれません。
ただその人柄が今は懐かしく、ジーンときています。私もこのような種の撒き方ができるだろうか、そう自問自答せざるをえない元旦となりました。
アレックス、あなたにお会いできて、一緒にお仕事できて、光栄です。ほんとうにどうもありがとう。
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