何万円もするちっぽけな木片 〜アラブ・ストリート物語〜


先日シンガポールで、プラプラとアラブストリートを歩いた。

歩いてみて、かれこれ15年くらい前にシルクを買いに来たことがあると気づく。日暮里のようなテキスタイル天国だ。

カラフルなスカートが並んでいる店先でちょっとスカートを物色していたとき。
ふと沈香の匂いがする。気のせいだろうと思った。だってここは日本じゃない。シンガポール。

でも気のせいじゃない。そこにいる西洋人の女性がつけてる香水? わからない。

店の中をちらっと除いてみた。そして、目を疑う。ズラッと、香木が並んでいるのだ。

まさか・・・・沈香?

沈香とは、香道に使われる唯一の香木であり、高級なお焼香の素材でもある。江戸時代の遊郭では常にこの香が焚かれていたともいう。

その目にしたものと匂いに誘われるように、店内に入った。その光景に圧倒される。普通の人には木の枝が並んでいるようにしか見えないだろうけど・・・私は知っている。一本一本が、何十万、いやもしかしたら何百万もするかもしれないことを。

棚にも無数の売り物の香木が並んでいた。

店主に聞いた。

「まさか、ここに薫ゆる香りはargarwood(沈香)ではないですか?」

店主は私がただのお客さんではないということに気づき、

「そうです、今朝焚いたのです。その残り香ですよ。ここに座ってください。」


店主はおもむろに炭に火をつけた。

「それ、日本の香道に使われる炭でしょう?」

「わかりますか? アラブの炭はケミカルの匂いがするので、日本から取り寄せているのですよ。」

そしてひとつひとつ香木を焚いた。

ひとつめは、kalimantan 軽めの香りの香木。沈香というよりは、木の香り。一般受けする香りかもしれない。

ふたつめは、kalimantan 重めの香り、「水に沈む香木」つまり沈香のことだ。銀色っぽい香り。私の好みの香りだ。

みっつめは、muraka ちょっとスパイシー。シナモン系。これはこれで好きかも。

よっつめは、店先には並んでいないもの、ビルマの Royal Macan という香木。これはクミンっぽい香りがちらほら。しかしやはり売りに出してないだけある。沈香の最高級、伽羅だろう。先の香りが「銀色」だとしたら、こちらは「金色」だ。

こんな貴重なものを焚いてくれたのは、特別な対応かもしれない。店主も私の沈香ストーリーを楽しんだのだと思う。香道、芸者、遊郭、お焼香など、あらゆる日本の沈香文化を紹介したのだ。

沈香の香りが、心と心をむすぶ。

ほんとうにいいモノは、売っていない。お金で買えない。こうして、人の心だけが引き寄せることができる。

店主はカウンター横のショーケースに鎮座している香木を差して言った。

「私は、500万、1000万の札束を積まれたって、あの香木は売らないんですよ。」

From 魔女の実験室3




「日本以外にも、こうして沈香を嗜む文化があるなんて知らなかった」

「アラブの文化では、客人をもてなすときに使うのです。西洋人は、コニャックを出したりして、お酒でもてなすでしょ? 私達はイスラムの決まりでお酒が飲めません。なので、香りでおもてなしをするのです。」

「お客さんが来る前に焚いておくのですか?」

「いえ、いらしてから焚きます。最初は、甘い、キャンディーやローズっぽい安いものを焚きます。料理の匂いと混ざることがありますから、高価なものを焚いても意味がないのです。お客さんが帰るときなどに、高級な沈香を焚いたりします。」

シンガポールは、沈香トレーディングのメッカなのだとか。ベトナムやインドネシアなどで採れた沈香をアラブ世界に運ぶのに、シンガポールを通って行くのだという。

「ここのビジネス・メンタリティは、クリーンですからね。」

店主は、何代にもわたる家業、香木トレーダーだったのだ。どうりで売り物ではない家宝(普通の人には木の枝にしか見えないだろうけど)がたくさん飾ってあるわけだ。

「最近、値が上がってしまった割には、質が落ちてしまいました。中国人が買い占めているのです。」

「中国人はそれで線香でも作っているのでしょうか?」

「いえ、薬です。胃腸に良いとか。それか、置物の刀を作ってますよ。」

「香りを嗅がないで飲み込んでしまうなんて・・・なんてもったいない」

「どうぞ、服に香りをしたためていってください。一日中香りに浸れますよ。」

私は遠慮なく、着ている服を香炉にかぶせた。

「やはりアラブでもこうするのですか? ゲイシャが昔、着物をこういうふうに香りづけしたものですが」

「ええ、私達は特に腋の下に香りをつけますよ」

なるほど、アラブ人の腋臭はすごいものがあるが、これで中和させ、性的に魅力的な香りへと昇華させるのだろう。

From 魔女の実験室3



香りのもてなしをされている間、スラッとしたアラブ男性が入ってきた。

「この前の、あの香油、良かったよ。また欲しい」

「あれですか? あれは貴重なので、買い占めないでくださいよ」

店主はニタッと笑いながら、私にもその香油を拭香紙につけてくれた。

「これ、沈香の精油じゃないですか!」

「そうです。よくわかりますね。Royalという最高級のものです。いいものがわかる人にしかわからない贅沢です」

その拭香紙は今でも私の財布に入っていて、お札を取り出すときに素敵な香りを漂わせてくれる。


そして、アンバーを見せてくれた。

どう見ても石ころにしか見えないが、一個一個、すごい値打ちがあるものだ。

From 魔女の実験室3

「あなたなら、これがどこに由来するものかご存知ですよね」

「ええ、クジラが排出する瘤、嘔吐物のようなものですよね。アラブ沿岸で漁師が拾って歩くと聞いていますが・・・こんなものを他の石ころと見分けるなんて、すごい。」

実物を嗅ぐのは初めてだ。

その匂いはあまり良くはなかった。動物っぽい匂い、胃が締め付けられる。

しばらく気持ちが悪かった。そのくらい強い。

「ははは。でもなぜかオイルで抽出すると、良い香りに変わるのですよ。不思議でしょう?」


これほど大量の香木を、私はこれまで見た事がない。

それくらい、香木が積まれ、売られている店だった。

ひとつの箱が、何万もするものだ。それが山積みになっているのだから。あまりにすごくて、「写真撮ってもいいですよ」といわれても撮れなかった。

もちろん私も香りクレイジーなので、そのうちの一箱を躊躇無くカードで買っていくわけだが・・・。(ブランドものの服には誘惑されないが、こちらには惨敗。)

しかし、アラブ人の本当の金持ちは、半端ない金持ちだ! この店主だってそう。

彼らは、もはやお金に興味がないようにも見える。放っておいてもワッサワッサと入ってくるのだから、そりゃ興味も失せるのだろう。

しかし彼らの道楽は洒落ている。ちっぽけな木片に、何万も払う。それを自分のためでなく、人のために、「おもてなしに」使うのだ。

お金が人を幸せにするわけではないとよく言うが、こういうことだと思う。

人の幸せにとって、いかにマインドとセンスが豊かかどうか、がポイントなのではないか。言い換えると、「このちっぽけな木片を楽しめるかどうか」。それは持っているお金の量に比例しない。

そのセンスさえあれば、彼らのような大富豪でなくても同じ道楽が楽しめるのだから、人間というものは実に公平にできてると思う。

例えば私が買った一箱1万5千円で、100片くらい入ってるだろうか。1片あたり150円。コーヒー一杯より安いよ。自販機で買うペットボトルのお茶くらいかな。

そして、1回焚いたら、その日はずっと残り香が楽しめる。それが8時間として、時間あたり20円しかかからない。

毎日お客さんをもてなしたとしても、一箱で半年近くもつ。

要は、日々自販機のお茶に150円を使うか、それともこの香木に150円を使うか。選択の美学の問題だ。

日本人は昔、香道や匂い袋のような形で、わりと日常的に香りを嗜んでいた。それは世界に類する文化がないくらいユニークだった。私達のDNAに、このようなセンスがあるはず!なのだが。

「豊かさ」について、改めて認識させられる、アラブ・ストリート物語でした。

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