つまりそこに香りがあって、香りを観賞の対象としてくれるかどうか

 昨日のアーティストトークで、良い質問をいただいたので、ここにシェアします。



Q: この作品は、海外ではどう受け取られますか。


A: 日本とは、違うと思う。考えてみると確かに、この作品を海外で展示する勇気はまだないかもしれません。


これは単なる「リードディフューザー」でもあるわけです。通常、ドンキなどでも売っていて、空間を香りづけたり、マスキングしたりする目的で買われるもの。リードディフューザーというものは、本来、そういった役割があるもの。


それとどう違うのか、といった問に明確に答えられなかったら、仮にも「アートウィーク」と謳う、アートの枠組みの中では展示できない。そのためあれこれ自己問答した結果、日本の石垣島の、このコンテキストであれば、アートとして展示できると考えたわけです。


この作品は、「リードディフューザー」という形式を借りているけど、役割がまったく違います。この香りを嗅いで、あたかもそこに石垣島の花があるかのように、あるいはあたかも石垣島にいるかのように感じてほしい、そんな没入体験を体験してもらうために作ったものです。


例えばキンモクセイの香りを嗅いで、それを「いい匂い」と感じる以上に、「秋だなあ」「切ないなあ」など感じるひとがいる。文化というべきか、日本には多い。香りが、季節や情緒などのメタの情報を運ぶ媒体となるのです。ここ日本であれば、私のこの意図を皆さんが自然に受け止めてくれるだろうと判断して、展示する決心を固めたのです。


つまりそこに香りがあって、香りを観賞の対象としてくれるかどうか、がポイントなのです。セレクトショップの展示ではなく、クラフトや工芸品の展示会でもなく、「現代アートの展覧会」として見てもらえるかどうか。


フレグランス文化の強い欧米で、このような展示をする勇気は、まだ私にはないと思います。なぜならどうしても、フレグランスという工芸品にしか見られないだろうから。「いい香り」以上の、鑑賞の対象となる準備ができていないような気がするからです。


ベートーベンは、それまで宮廷のBGM的存在だった音楽というものを、それだけで鑑賞するに値する対象とし、音楽の地位を上げる「革命」を起こしたといいます。私たちがいま普通に楽しんでいるコンサートやライブなどの鑑賞方式は、実はベートーベンからの賜物なのです。


しかし、いくら日本といっても、現代アート展というよりはクラフト展示会寄りになることが予想されるアートウィークで展示するのは躊躇したのですが、オーガナイザーやスタッフがこの意識を共有してくれ、最善の展示環境を作ってくださったので、やる決心がつきました。


モダンでスタイリッシュなデザインで統一されているホテルのロビー空間にも助けられました。美術館のように美術向けの空間と違い、作品がつい「インテリア」として見られがちなのに、様々な偶然が重なり、「いい作品」となりました。感謝です。


 

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