パリ協定のための匂い - 匂いは地球温暖化問題の解決に貢献できるか? -

 とある国際学会への寄稿を頼まれ、日本語で下書きを書いています。今日一気に書いてしまいました。まだまだ書き殴りの荒い文章ですが、内容は面白いです(自画自賛)。

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パリ協定のための匂い
- 匂いは地球温暖化問題の解決に貢献できるか? -

ABSTRUCT
本稿では、「匂いは地球温暖化問題の解決に貢献できるのか? 」 という問いから発して制作された作品について述べる。本作品は、嗅覚と温度感覚の関係性を体感できるものであった。 嗅覚芸術家の視点によるリサーチとディベロップメントの過程を説明する。このプロジェクト、日系大手自動車メーカーであるマツダからの間接的なコミッションであった。

1. MOTIVATION
香りは古今東西、癒しを提供したり、異性を誘惑したり、ラグジュアリー感を演出するなど、何らかの目的を達成するためのツールとして使われてきた。これまで私は、アート表現のために匂いを利用してきたが、より普遍的に、地球規模の問題や社会問題を解決するために役立てることができないだろうかと考えるようになった。
そんな中、パリのエージェントを通じて、日系自動車メーカー MAZDA EUROPE の周年記念パーティにて、匂いの演出をしてほしいと頼まれた。そこで、匂いが温暖化を食い止める一助になるかどうかをリサーチするのは、有意義だと考えた。例えば匂いにより、より涼しく感じられるのであれば、暑い日にはその匂いを嗅いで少しでも涼むことで、エネルギーの消費を抑えられるのではないか。人類のレジリエンスのために、匂いは役に立つことができるのだろうか。そのように問いを設定した。
このプロジェクトは、リサーチ的なアートプロジェクトであり、結果を保証するわけではないものとしてスタートした。SDG’sが企業の指標として問われる現代、自動車産業からの過去への自省として、それ自体が意義のあることだと思う。
2. RESEARCH & DEVELOPMENT
制作は主に2つのパートに別れた。順に見ていこう。
(1) フレグランスの制作
(1)-1 香料の選定
まずは一般的なパフューマリー(調香)の分類系統で知られている、「暖かい香り」と「冷んやりとした香り」を選び出し、比較してみた。
暖かい香り:
- cinnamon
- sandalwood
- labdanum
- clove
「冷んやりとした香り」
- mint
- eucalyptus
- lemon
- camphor
これらを嗅いで自分がどう感じるのかを観察していくわけだが、自分がどう感じているのかどうかが、次第にわからなくなっていった。「この香りはこういうもの」というふうにパフューマリーの学校で教わっている以上、その最初のイメージをどうしても払拭できないからである。
周囲の友人たちにも「暖かいと感じる香りは?」とアンケートを取ってみたところ、上記のリストそそれほど大差はなかった。
そこで気づいたのは、一般的に「暖かい香り」と言った時、私たちは「温もりのあるイメージが浮かぶ」という意味で「暖かい」と言うのだということだ。例えば、シナモンなどクリスマスと結びついたイメージを持つ香りを、「暖かい」と言ったりすることである。それは文化的な解釈である。他の文化では違う解釈をしているかもしれない。つまり、その香りを嗅いで、必ずしも物理的に体が暖かくなる(=体温が上がる)ということではない。
しかし私たちは経験的に知っている。寒い時には生姜湯を飲むと良いということを。実際に体温が上がるのかどうかは不明だし、単に知覚の問題なのかもしれないが、少なくともそのような身体への作用にのみ着目してリサーチするべきと考えた。
そこで友人でもある科学者 Jas Brooks に、そのような、物理的に作用する芳香成分があるのかどうか、聞いてみた。彼からは、レファレンスとしてFélix Vianaの”Chemosensory Properties of the Trigeminal System" という論文が挙げられた。その論文によると、香りは、嗅覚だけでなく、三叉神経をも刺激している。香りは刺激として、温感、冷感、痛感、などのレセプターにも複合的に作用しているのだそうだ。
そこで論文にリストアップされている香料で、調香を試みた。
{Components of the Cooling Fragrance} 
    •    menthol
    •    eucalyptol
    •    thymol
    •    citral
    •    cinnamaldehyde
    •    linalool
    •    methyl salicylate

{Components of the Warming Fragrance}
    •    Black pepper
    •    Camphor
    •    Eugenol
    •    Red Chili Extract (self extracted)
    •    Methyl Salicylate

Eugenol や camphor, methyl salicylate などは、冷感と温感、両方に作用する厄介者である。そのため、冷感に作用させたい場合は menthol と組み合わせる、などの工夫が必要である。それは調香に通じるものがある。例えば linalool という香料は、甘い香りと組み合わせると暖かいトーンが目立つが、スッキリした香りと組み合わせるとひんやりとしたトーンが目立つ。組み合わせや、配合のバランスによって、香料の目立つ特性が変わる。これは知覚のマジックである。このような調香の経験を生かし、配合を考えた。
また、空間蒸散を前提としていたため、なるべくトップノート系を中心に構成した。そして、例えば「レモンの香り」といったような具象を想起させないよう、抽象的な香調に仕上げた。
The Warming Fragranceの 赤唐辛子に含まれるカプサイシンは粘膜に作用することから、目や鼻の粘膜にイリテーションがあってはいけないと考え、成分を抑え目に調香した(既製品は使わず、自ら天然抽出したものを使った)
(1)-2 ディフュージングによるシミュレーション
出来あがったフレグランスは、溶剤(DPG)で50%に薄め、自宅の部屋で焚いてシミュレーションした。
とても暑い真夏の最中だったので、まずは「冷感フレグランス」を自宅の部屋に蒸散させてみた。思うように涼しく感じられない。そこで判明したのは、メントールという成分が冷感に作用するのは、気温が25度以下の時であるということであった。私が住む沖縄は特に夏の暑さが厳しいのだが、エアコンを強めにかけてなんとか「これが冷感か」といった体感を得ることができた。それは皮膚ではなく、肺や気管支において直接的に感じる冷たさであった。寒気がしてきたので、実験を中止した。
次に「温感フレグランス」を部屋に蒸散させてみたところ、ほっこりしてきて、眠気が差し、昼寝をしてしまった。喉がカラカラになって起きた。体温が上がったわけではないが、このフレグランスには、血流を増加させ、結果として喉が渇くという生理的な作用があるのかもしれないと考えた。
(1)-3 香りの蒸散方法と使用機材の検討
これまで自らのインスタレーションでは、空間蒸散の道具も手作りしてきたが、最近の日本においては市販の製品の中に非常に優れたものが多く見受けられるようになった。複数のディフューザーを検討した。
[a]Aromore (生活の木社):コンプレッサー方式
[b]AROMIC AIR (AROMIC STYLE 社):吸水蒸散式
試した結果、[1]を選択した。この製品の良いところは、常に一定に香りを蒸散するわけではなく、一定の時間をおいて瞬間的に噴射するところにある。常に同じ濃度で蒸散させると、嗅覚疲労を起こしやすくなる嗅覚の性質に配慮しているため、結果として香料の節約にもなり、知覚の強度も強くなる。
(2) スペースづくり
スペース・デザインに当たって、空間認識と香りの作用の観点から、以下の点を要件とし、主にパリの現場にて用意してもらった。
・「Warming Room」「Cooling Room」という二つの部屋を作り、体験者は行ったり来たりしながら体感を比較できる。
・二つの部屋は、同じ形である。隣同士に設置されている。
・二つの空間の温度と湿度は常に同じにする。(ポータブルエアコンなど、何らかのコントローラーを設置。今回は日本から湿度を上げないタイプのカーエアコンを持参した。)
・体験者自身が気温と自らの体感を比較できるよう、目立つように温度計を設置する。
・空間はきちんと閉じたスペースとして認識される必要がある。つまり、「空間には香りが満たされている」「体全身が香りに浸っている」といった体感を感じてもらえるようにする。(吹き抜けの通路などは不適切。)
・空間は大きすぎず小さすぎず、2~3人が同時に入れるようなスペース。
・香りが閉じ込められるよう、空間の気密性を保つ。かつ、人の出入りはカーテンの設置により簡便にする。
・二つの部屋は透明な素材で構築し、外から中の人の反応が見えるようにする。
・床には人工芝などを敷き、芝にも香りをスプレーする。
パリのオーガナイザー側は、プラスチック素材でできた小さなグリーンハウスを用意。入口にはPVCカーテンを設置した。
3. RESULT AND ANALYSIS
2020年9月15日~16日に公開。9月中旬のパリであるにもかかわらず、日中は37度という異常気象に見舞われ、その影響を直接的に受けてしまう会場だったので、日中は残念ながら展示としては成立しなかった。
日没後、気温が下がってきた頃には、グリーンハウス内を25度前後に保つことができ、体験にふさわしいコンディションとなった。会場の空間特性により、Warming Room よりCooling Room の方が常に1度高くなってしまったが、Warming Room の方が暖かく感じる、と皆が驚いていた。
Cooling Room ではこんな感想をもらった。
・森にいるようだ。潤う。
・気持ちいい。リフレッシュする。
Warming Room ではこんな感想をもらった。
・こっちの方が温度が低いのに、不思議とあったかく感じる。
・砂漠にいるみたい。
・キャンプファイヤーみたいな香りがする。
・乾燥したサウナ、乾燥した木、コルクみたいな感触を想起させる。
・喉がイガイガする。
この作品は、かなり人間に共通する「温かい」「冷たい」感覚を提供してくれているようだ。匂いにより「湿度」の感覚が想起され、それが結果として「温度」の知覚として認識されている点が興味深い。

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