香りの記憶/記憶の香り〜ART THINKING WEEK WORKSHOP〜

-  感情にひもづいた匂いの記憶を再現する -  

テーマ:怒り、悲嘆、幸福

日時:2021年11月23日

場所:渋谷QWS

主催: ART THINKING WEEK  

 

計15名の参加者の方に、匂いの記憶を再現するフレグランスを作っていただきました。そして、その記憶にひもづく感情ごとにカテゴリー分けして展示しました。


嗅覚はほんとうに記憶と結びついた感覚なのか

Et tout d’un coup le souvenir m’est apparu. 突如として、そのとき回想が私にあらわれた。

~マルセル・プルースト~

 
 「プルースト効果」という言葉をご存知だろうか。マルセル・プ ルーストの小説の中に、マドレーヌを紅茶に浸したものを口にした瞬間、昔の記憶が瞬時によみがえってきたという下りがある。 香りが記憶を蘇らせるパワーについて、著者であるプルーストの 名が冠せられたのだ。

この言葉は一人歩きし、香りがあたかも魔法であるかのような印 象を人々に与えている。そして、香りで何かを企画するとき、「まずプルースト効果を狙ったものを」と、アートやビジネス シーンだけでなく、研究開発や学術分野でも期待される昨今だという。

当然アーティストである私にもそんな期待が寄せられるわけだが、これまではこの言葉を避けてきた。理由はいくつかある。嗅覚は個人的な知覚だし、さらに記憶はもっと個人的なものなの で、普遍的に共有することはできない。私の記憶、たとえば「子供の頃に遊んだ公園の匂い」などをみなさんに一方的に押し付けて、はたして何を共有できるのだろう、と考えてしまうからだ。

仮にワークショップをやったとしても、みんなが過去の記憶を語り合う「郷愁を共有する会」みたいになってしまう。

もうひとつの理由は、記憶との結びつきが強い感覚なんて、何も嗅覚に限らないのでは、と考える点。たとえば元カレや元カノを イメージしてみてほしい。その姿かたち、しぐさや声なんかは、マインドの中でけっこう描けたとしても、匂いを描くことは少しもできないのでは? 「えっと、んー、そう! 甘い感じの匂いなの!」とかなりざっくりした描き方になってしまうだろう。視覚や聴覚の方がよっぽど記憶の解像度は高いはず。

匂いから、記憶が蘇ることはある。けど、記憶から匂いを思い出すことはできない。そういった、一方通行の感覚なのだ。聴覚であれば、一度聴いた歌を再現して歌うことは簡単だが、そういった記憶と再現ができない感覚である。

元カレのつけていた香水を嗅いだらグッときて、、、といった話はよく聞くので、掘り下げてみよう。そんな人はもしかしたら、 写真を見たり、音声の録音を聞いたりしても、グッとくるのではないだろうか。どうして嗅覚だけがこんなに「記憶」との蜜月関係を強調されるのだろう。

私なりに考察するに、「匂いが存在を示唆する」ことが関係してるのではないだろうか(東大の東原先生の名言でもある)。匂いにはかならず、発生源がある。そのため、元カレのつけていた香 水をつけている人と街ですれ違ったら、それがまるで元カレのプレゼンスであるかのように脳が勘違いしてしまうのではないだろうか。人が違うのだから、同じ匂いであるはないはずなのに、嗅覚はその独特の鈍さと解像度の低さにより、偶然のシチュエーションを都合よく解釈してしまう。

もうひとつの考察。嗅覚情報はまず脳の情動を司る部分を通ってから大脳皮質に届き、それから「これは〇〇の匂いだ」と判断する。そもそも強い感情を伴う匂いを嗅いだ時(たとえば元カレの 香水の匂いに似たものを嗅いだ時)、「グッとくる」感情のス イッチが大脳皮質の判断を待たずに先に入ってしまう。コントロールできない。そのため、匂いは記憶のスイッチを入れる魔法みたいなものとして、特別視されているのではないだろうか。

ところが、もう記憶のかなたに去ってしまって何とも思わない元カレに関してであれば「あ、なんか知ってる香りかも」と思うか 思わないか程度なわけで、「グッと」はこないであろう。つまり、匂いの記憶は変化する。記憶のスイッチが入るかどうかは、 その対象への感情が、ポジティブでもネガティブでもいいから、 何かしら強く残っていることが前提なのだと思う。なので言うならば、「嗅覚は記憶と結びついている」ではなく、正確には「嗅覚は情動のスイッチを入れる。スイッチが入ったら、記憶を引き出す」なのではないか。

私などはよく移動するし引っ越しするし、良くも悪くも過去を忘れやすく、歳のせいか「今がいちばん楽しくて幸せ」と捉えるところがある。すると、匂いにより情動のスイッチが入ることが、ほとんどない。残念でならない。






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